がじゃんびら公園(那覇市金城1丁目)                        2013年10月作成
かじゃんびら公園付近は昭和20年6月4日に戦場となった。
 米軍jは5月末までに首里を占領したが、日本軍は僅かの時間差で、すでに島尻地区南部へ転進した後であった。 米軍は6月に入ってから、日本軍の追撃を開始するとともに、小禄半島に頑強に立て籠もる日本軍海軍部隊を殲滅するため、1個海兵師団(第6海兵師団)を投入した。
 6月4日0500、第6海兵師団は小禄飛行場 (現在の那覇国際空港) 北部地区に上陸を開始。 第1波であった第4海兵連隊が、上陸後南へ進撃(現在の空港ターミナル方向)、次いで午後から第29海兵連隊が上陸し、1300から南東方向へ進撃を開始した。 この南東方向には、現在の陸上自衛隊那覇駐屯地(当時は沖縄地方気象台)や、このがじゃんびら公園があった。 第29海兵連隊は、この日約1500m前進したが、大きな損害を受けていない。 言い換えれば、この公園付近には日本軍部隊は配置されていなかったことになる。
(がじゃんびら公園から西へ約300mの「小禄すみれ児童公園」一帯には佐世保海軍軍需部那覇支部の本部壕があったが、これが一番近い日本軍陣地となる)

 この「がじゃんびら公園」は、当時海軍の間では 「筆架山」 と呼ばれており、那覇港防御のため、頂上部には独立高射砲第27大隊第1中隊が、88式75ミリ野戦高射砲を据え付けていた。 この高射砲は昭和19年10月10日の那覇空襲(10・10空襲)でも、米軍航空部隊に対峙し、米軍機1機を撃墜(記録上9機)しているが、昭和20年5月末には具志頭付近に移駐となり、その際に高射砲も引き払われている。 現在も砲の設置跡や (高射砲据付けコンクリートは数十年前まで残されていたが、公園整備によって破壊された) 第1中隊壕が残されている。

写真左 : がじゃんびら公園頂上部。 高射砲据付け位置付近の新しいコンクリートの外側に、わずかに当時のコンクリート架台を見ることが出来る。
写真右 : がじゃんびら公園を那覇市から見る。 米軍は上陸後、海岸線沿いに南東進し、1日で約1500m進撃している。