神森中学校 (浦添市内間1丁目)                               2013年6月作成
 神森中学校付近jは、昭和20年5月6日頃から戦場となった。 特に5月9日に50m閉鎖曲線高地(米軍呼称Hill60)が占領されてからは、米軍は一気に南下し、5月10日には第1海兵連隊第1大隊・第3大隊が神森中学校を通過して、学校南東側の国道330号線にかかる跨道橋まで進出した。この跨道橋から南へは大名高地からの激しい射撃により、なかなか進出することが困難であった。 戦闘図では沢岻高地に日本軍陣地が記述されているが、この頃の独立歩兵第15大隊他は、それまでの戦闘で大半の将兵を失っており、生存している将兵も壕の中に待避している状況であり、したがって神森中学校付近では米軍はほとんど犠牲者を出していない。 (戦闘図は5月10日の状況) 
 5月10日の神森中学校付近の戦闘の様相が記録された写真である。
  現在は商業施設や住宅が密集する地域であるが、当時は集落もない広大なサトウキビ畑や水田が広がっていた。 またなだらかな地形であったため、米軍戦車の機動は容易であったため、5月10日の戦闘では、戦車と連携をとりながら、歩兵部隊も一気に南下している。
 「第1海兵連隊第1大隊進出位置」と示された場所に、現在は国道330号線を越えて沢岻に向かう跨道橋が架かっている。