天妃小学校(那覇市久米1)                                 2013年7月作成
天妃小学校付近は昭和19年10月10日の「十・十空襲」によってほとんどの家屋が焼失した。
天妃小学校は昭和20年5月27日から28日にかけて戦場となった。
 安里川東側にあった米第22海兵連隊第2大隊は、早朝から偵察部隊(G中隊)を市内に侵入させ、その結果日本軍はこの地区を放棄していると判断、午前9時50分から第2大隊の残りの部隊(E中隊・F中隊)に安里川を渡河(現在の泊高橋付近)させて一気に波之上付近まで進出した。  対する日本軍は、米軍の久茂地川運河渡河を妨害する任務(推定)を有した独立歩兵第23大隊第5中隊が配置されていたが、この地区に地形を利用した陣地構築は不可能で、おそらくは焼失を免れた建築物などから米軍を狙撃したと思われる。 独立歩兵第23大隊史実資料からも、天妃小学校や上山中学校を中心とした地区に3つの陣地が記載されている。
 5月27日夜、独立歩兵第23大隊第5中隊は、一部戦線を縮小し、天妃小学校に主力を置き、翌日の米軍攻撃に備えている。  5月28日には米軍の攻撃が活発化し、圧倒的な戦力差のもと、日本軍は現在の泉橋付近で久茂地川運河を渡り、更に28日夜には、特設第6連隊の守備する城岳35高地に後退した。
 独立歩兵第23大隊第5大隊の損害状況は全く不明であるが、任務が米軍の進出妨害であったことや、27日夜から逐次後退していることから、この地区での損害は大きいものではなかったと推定される。
 天妃小学校は鉄筋校舎であったため、十・十空襲においても焼失を逃れている。米軍が撮影した航空写真からも、この地区にはわずかに天妃小学校・上山中学校・那覇教会だけが確認できる。 ただし、天妃小学校校舎は当時の位置と現在の位置が異なる。 当時の校舎は、現在の天妃小学校体育館付近にあり、その位置を右下の地図に記述した。 現在の体育館付近で、独立歩兵第23大隊第5中隊主力が集結して米軍の進出を妨害しようとしたのである。