大平養護学校 (浦添市大平1丁目)                         2013年8月作成
大平養護学校は昭和20年5月3日から4日にかけて戦場となった。
4月1日に嘉手納海岸一帯に上陸した米軍は、陸軍部隊が南下(海兵隊は名護方面へ進撃)して日本軍を圧迫してきた。 しかしながら、4月上旬以降日本軍主力部隊と激しく戦火を交え、陸軍部隊は相当の損害を与えられた。 このため、名護方面で日本軍の掃討を修了した海兵隊が陸軍部隊に替わって第一線に投入されることになり、 4月30日から逐次城間地区に到着した。
 4月30日には、大平養護学校の北西側にある仲西中学校(58高地)で、日本軍の独立歩兵第21大隊が大きな損害を受けて後退、この地区にも海兵隊が進出してきた。 大平養護学校のある場所は、戦時中は小さなお椀を伏せたような丘であり、南側に展望のきく重要な地形であった。 このためその後の海兵隊の進出には何としても確保が必要で、5月3日からこの丘(米軍は「Sugarloaf Ridge」と呼称)の攻略に着手した。 5月3日朝から、第5海兵連隊第3大隊K中隊が攻撃前進、一度は丘を越えて小湾川付近まで進出したが、その後200mほど押し戻されている。 この丘にも若干の日本兵がいたようだが、正確な記録は残されていない。ただし、前後の推移から、独立歩兵第21大隊の残存兵が壕に籠もっていたと推測される。
翌4日にはK中隊の他、I中隊やL中隊も進出し、2日間にわたる戦闘は終了した。
 
         右地図 : 昭和20年5月3日の戦闘状況。 グレーの部分は当時の集落で、これ以外の場所には人家等はなく、なだらかな丘が連続する地形であった。
 「Sugarloaf Ridge」は、米陸軍・海兵隊の公刊戦史には全く登場しない地名である。 記述があるのは「アメリカ第1海兵師団沖縄特別作戦報告書」及び「海兵隊記録写真」である。 那覇市に激戦地で有名な「Sugarloaf Hill」があるが、シュガーローフという名称は、アメリカの菓子の形に似ているからという説があり、これが沖縄戦においても名称の由来として信じられているが、実際には、シュガーローフは「すり鉢状の丘」(お椀をひっくり返したような形)を意味する。
 大平養護学校のある場所は、戦時には小湾川の北にあった小さな丘で、「Sugarloaf」 というに適した「すり鉢状の丘」であった。 現在は丘そのものが削られて、周辺とは高低差がなくなっているが、当時は適度の高度のある場所として、これから米軍が攻撃する「Nan Hill」や「50m閉鎖曲線高地」などを観察できる重要な地形であった。
 
     地図左 : 平成22年の地図      地図右 : 昭和23年の米軍作成地図 (等高線の混み具合から、「Sugarloaf Ridge」が急な斜面を持った丘であったことがわかる