浦添小学校 (浦添市仲間2丁目)                     2007年11月撮影

 安波茶小学校は前田高地争奪戦において極めて重要な位置にあった。当時からコンクリート製の建物で、米軍は「アパートメントハウスバラックス」という名称を付け、前田高地の反対斜面(南側斜面)を占領するのに最も重要なポイントであると考えた。学校のある場所は周囲に比べてやや高台になっており、当時は前田高地に増援または前田高地からの撤退などの日本軍の行動を制することができたため、双方にとって前田高地保持のためには是非とも確保しなければならない場所であった。この場所は昭和20年5月5日に米陸軍第307連隊が確保して直ちに強力な機関銃座を構築、それがために前田高地に接近および前田高地から撤退しようとする日本兵が数多く戦死し、爾後の往来が不可能となり前田高地は敵中に孤立した。特に写真外の右側に位置する現浦添警察署付近が低地になっていたために、脱出しようとする日本兵が集中して多くの犠牲者を出している。
 当時の写真にある校舎は、現在の写真の右側校舎の位置にあった。写真では手前が浦添中学校のグランドとなっているが、この場所は戦後削って低くなっている。尚、背後に見える山が前田高地である。