阿嘉島(野田山)から見た慶留間島 (座間味村阿嘉島)               2006年11月撮影

 昭和20年3月26日午前8時4分にアメリカ陸軍第77師団第305歩兵連隊第3大隊が阿嘉島に上陸を開始した。しかし本来地上戦闘を目的としていない日本軍海上挺進第2戦隊基幹は圧倒的な火力・兵力を前にして為す術もなく、早々に司令部を島内中央部の通称「野田山」(戦隊長野田少佐の名字から付けた名前)に後退させた。一方対岸に位置する慶留間島には8時25分に米軍部隊が上陸し、ここでも海上挺進第2戦隊第1中隊基幹もほとんど抵抗出来ないままに第1中隊壕付近に後退した。
  戦時下の写真は野田山(中腹)から見た慶留間島であり、米軍は島の反対側に上陸後、日本軍の潜む阿嘉島側に対して砲撃を実施した。写真左上に白煙が見えるが、この位置こそが第1中隊の秘匿壕・待機壕の位置である。時間的には阿嘉島上陸後の米軍が野田山に向かって進撃した昼すぎ頃になるのであろうか。この時点では第2戦隊長が掌握しているのは第3中隊等の部隊だけで、第2中隊は全滅との情報が寄せられていた。眼下に見る慶留間島では第1中隊が攻撃されている状況を写真のように直接目撃したに違いなく、口にした「まあ玉砕ですかな」という言葉に絶望感が感じられる。
  現在の写真はその野田山山頂の展望台から撮影した。本来の撮影ポイントは米軍の進出した松山(日本軍の通称で野田山の中腹に位置する)からのものであろうが、現在は樹木が生い茂りその場所に立つことは不可能であったため、頂上から撮影している。海岸線が埋め立てられ、慶留間島との間には橋も架けられて陸続きとなった。しかしながら白煙を上げる第1中隊秘匿壕付近には現在もほぼそのままの舟艇壕が多数残されており、山の中に足を踏み入れると待機壕も存在する。後世に残したい貴重な戦跡である。