参考資料:安里川沿いを進む海兵隊 (那覇市安謝)                2006年11月撮影

                                                                   ※ 場所が違うと判断しているが敢えて掲載している 

                                          
 「安里川沿いを進む海兵隊」(5月29日)と記載されている写真である。5月29日の那覇市の戦線は壺屋〜牧志町〜35高地(城岳)の線であり、米軍の前線部隊は第22海兵連隊第2大隊であった。写真の撮影場所は川幅・背景などから安里川河口(現在の泊フェリーターミナル付近)であることから写っている部隊はこの地区担任の第22海兵連隊第2大隊に違いない。しかしながら、このページの表題に「参考資料」としたのは、一見すれば同じアングルのように思われる上記の2枚の写真が、現在の写真が実際には違う場所を撮影しているからである。
  まず最初の航空写真を見てみよう。この写真はは戦前の昭和20年1月3日に撮影したものであり、上記写真に最も近いと思われるものである。黒枠で囲んだ部分が概ねこの河岸のカーブに相当し、この部分の北側から南に向かって撮影したものであろう。見にくいかもしれないが、黒枠の中の河岸にわずかに出っ張った部分があるが、これが上記写真の手前部分、兵士が歩いている土手の手前側が広がっている所に相当するようだ。
  次にアメリカ軍が昭和23年に作成した地図を見てみる。この地区の川の部分が大きく変化している。航空写真での曲がり具合は何となく見ることができるが、南側に水が浸透している。これはこの地区がそもそも低地部であり、航空写真の黒枠の下(南)に建物のない白く見える部分が実は元来河口の一部であったのである。これらのことから戦前戦後を通じてこの場所は間違いなく南北に延びる河岸の写真なのである。
  最後に現在の地図を見てみる。低地部であった場所は埋め立てられ、河口付近の川幅も半分くらいに狭くなっている。黒枠で囲んだ部分が航空写真の黒枠の部分に相当するが、この枠の中には安里川は入らないのである。戦時下の写真の場所は現在では沖縄銀行の裏手あたりになると思われる。 一見すると非常によく似た2枚の写真であるが、実はこの川の曲線が偶然一致した写真であったのだ。更に加えて、「安里川を進む」とされているこの写真は、実は「戦闘またはパトロールを終えて那覇市内から帰隊する海兵隊」ということになる。