首里教会1 (那覇市首里当蔵町2丁目)                  2007年11月撮影

 米軍は計画的に撤退してゆく日本軍の戦力的な間隙をぬって、5月29日に首里西部地区 (第62師団担当地区であったが撤退したために守備部隊が手薄な状況となっていた) から首里中心部に進撃した。この首里教会地区は第24師団担当地区であったため、この時は米軍も近づくことは出来ず、写真のように周囲を取り囲んでの攻撃は、第24師団が撤退した30日であった。
 他の写真でも見られるように、首里は沖縄第32軍司令部が首里城地下にあったことから、徹底的に米軍の砲兵射撃・航空攻撃・艦砲射撃で破壊された。米軍が市内に進撃した時点では、日本軍の主力部隊はすでに島尻に向かって撤退していたために、大規模な交戦にはならず、写真で見られるような破壊状況はそれ以前に発生したものである。
 首里教会には日本軍の狙撃兵が立て籠もって抵抗したという記録が残されているが、それがどの部隊の兵士であったかは不明である。 

写真の首里教会は米軍の砲爆撃で破壊されたが、戦後はこの写真の教会を修復して、1984年まで使用していた。(詳しくは「首里教会2」参照)