中城教育会館 (宜野湾市普天間1丁目)                      2007年11月撮影

 中城教育会館は普天間宮門前に発展した普天間集落の一角に位置した。普天間付近は上陸海岸から離隔していたことや、日本軍がこの地区を賀谷支隊 (「賀谷支隊の戦闘」参照) に遅滞戦闘 (敵の進撃を妨害しつつ後退する戦闘) を命じたために大規模な戦闘が行われなかったこともあり、比較的破壊を免れることが出来た。
 米軍はこの地区を1日で通り過ぎて戦線を拡張したために、地区担当の第96師団司令部もこれに伴って上陸海岸にあった指揮所を、ここ普天間に前進させている。記録から推定すると上陸直後の4月上旬から5月中旬頃までここに指揮所(CP)を置いたようであり、当時の写真ではすでに緊迫した戦闘の様相は感じられないので、おそらく時期的には遅い段階であると推察できる。
 現在、この場所は普天間高校となっている。写真に見える松林は普天間から宜野湾市我如古に続く見事なものであったと伝えられ、戦果を免れて戦後も残されていたが、その後松食い虫の被害にあって全てが伐採され現在は見ることはできない。尚、中城教育会館の実際の入口はこの写真の右手約20mのところである。