伊江島 伊江中学校東門 (国頭郡伊江村西江前)                 2007年11月撮影

 米軍は4月16日に伊江島への上陸を開始した。当初は歩兵部隊だけの上陸であったが、島の南側地区を確保しての4月18日に第706戦車大隊(完全編成ではなく2個中隊約30両程度だと考えられる)を上陸させ、この戦車部隊の上陸が決定的な勝因となった。当時の写真は米陸軍の公刊戦史に掲載されている写真であるが、戦車2両が同じ場所で撃破されていることに注目して撮影されているように思われる。特に1両は履帯が外れていることから肉薄攻撃や地雷によって破壊されたものであると判断できる。
 日本軍側から伊江島の戦闘について書かれたものは公刊戦史以外には、なかなか目にすることがなかったが、近年「私の戦記 伊江島の戦闘〜屋嘉捕虜収容所)」山田有昴著 という自費出版の本を目にすることができた。その中で興味ある一文に目が止まった。
「(捕虜となってから)学校高地の作業にも行った。運動場の爆弾跡の整地作業に従事させられたが、校門の前には米軍戦車が2両も爆破されたまま放置されてあった。わずか1ヶ月前の生々しい思い出がよみがえって胸をつかれた。それは4月20日に第3中隊指揮班長浜田准尉の宿舎当番や身の回りの世話をしていた女性とその同僚が、准尉や中隊長の戦死を聞いて弔い合戦と戦車攻撃に挺進、自爆したときの戦果と聞かされていたからである」と書かれ、そしてその文章に添えられて「現在の写真」の場所が掲載されていたのである。
 明確な確証はないが、戦車2両が同じ場所で撃破されたということで戦場のカメラマンは興味を持ってこの情景を撮影したはずで、しかも戦場で同じ場所で2両の戦車が撃破されることはそうそうないだろう。妙に一致するこの二つの事象が同じものではないかという推察の下、敢えて「参考」としてここに掲載した。