伊江島 飛行場誘導路 (国頭郡伊江村)                    2007年11月撮影

 不沈空母と称された伊江島の飛行場建設は昭和18年夏頃から計画され、秋以降建設が進められた。当時東洋一を誇る規模であった飛行場も昭和20年3月10日に沖縄第32軍司令部からの破壊命令が発せられ、ほとんど使用されることなくその役目を終えた。しかしながら突き固めた土や固いコーラル、コンクリートを使用した滑走路は容易く破壊することは不可能で、その大半は形ばかりの破壊となった(中飛行場・北飛行場も同様であった)。しかも破壊のために伊江島に送り込まれた第50飛行場大隊主力、第118独立整備隊などは、本島への移動の機を失してそのまま伊江島で米軍と戦うという事態に陥ったのである。一方伊江島を占領した米軍はその機械力を駆使して、短期間で飛行場整備を整えて使用することを可能にし、その後の沖縄戦遂行に大いに役立てた。
 写真はその飛行場に付設する誘導路で、航空機は伊江島中央部の滑走路へ移動している場面である。この立派な誘導路はその後道路へと変貌して現在に至っている。尚、伊江島には現在2本の滑走路が残されているが、そのうち1本は米軍が使用する滑走路である。また島の西側は米軍の演習施設であり、戦後沖縄の基地問題を身近に感じることができる。