伊平屋島                   2012年11月撮影
   
  虎頭岩から見た米軍上陸海岸 : フェリーターミナル一帯は埋立地で、現在の幹線道路が戦時の海岸線に相当する。 米軍は前泊地区からフェリーターミナル付近に上陸を開始した 
 
                          伊平屋島の米軍上陸概説 
1 伊平屋島上陸の目的
  沖縄周辺で活動する米艦艇が度重なる特攻攻撃を受け被害が大きかったことから、伊平屋島や粟国島などに長射程レーダーを設置するとともに、地上に艦載機等の戦闘指揮所
 施設を建設する目的で占領が決定された。
2 伊平屋島上陸部隊
  当初、沖縄本島で戦闘中の海兵隊から抽出することが計画されたが、この時期は各部隊とも日本軍殲滅の最終段階にあったために、最終的にはサイパン島に駐屯した第2海
 兵師団第8海兵連隊第2大隊及び第3大隊が上陸部隊として選定された。
3 伊平屋島の日本軍部隊
  日本軍部隊は配置されていなかった。 ただし伊平屋島近海に不時着した海軍機から漂着した3名、及び学校教員として赴任していた陸軍特務機関員1名の合計4名が在島して
 いたとされる。
4 上陸の様相
  昭和20年6月3日 (沖縄本島では首里の日本軍司令部が島尻南部に後退中)、艦砲射撃と航空攻撃機による上陸前準備射撃に引き続き、第8海兵連隊第2大隊・第3大隊が
 10時45分に上陸を開始した。 上陸海岸は「Red Beach」 と称された。 上陸は無血上陸となり、米軍側に損害はなかった。
5 伊平屋島住民の損害
  前泊集落は全焼、住民の死亡者は40名を超えた。 住民は古老による善後策協議の結果降伏を決定した。 その後島民約3000名は全員が現在の田名集落に収容されたが
 同年11月22日に米軍が伊平屋島撤収を決定したために収容は解除されている。
 
 
                                        海兵隊の伊平屋島上陸1
   
 6月3日 伊平屋島の海岸に上陸する水陸両用トラクター(LVT)。  当時、島には日本軍関係者は3名しかおらず、全くの無血上陸であった。 現在の写真中央左のタンク付近に集中して上陸したことがわかる。 写真はフェリーから撮影したために若干の位置的誤差がある。
 
                                      海兵隊の伊平屋島上陸2
   
 この写真の撮影日は「6月5日」とあるが、明らかに間違いであろう。 「海兵隊の伊平屋島上陸1」よりも海岸線のLVTが多いことから、時間的にはこちらが後の撮影だと考えられる。
海兵隊は上陸海岸に「レッドビーチ」と名付けた。写真右端に前泊集落が見えるが、一部の住民は当初日本軍の援軍と考え、射撃を受けて始めて避難を開始したという。 撮影場所は当時の撮影地点とほぼ同じポイントである。
                                          上陸中の海兵隊1
   
 6月3日撮影。 伊平屋島のムーンライトマラソンのイラストが描かれたタンクの場所こそが最大の上陸点であった。 現在、上陸海岸はほとんどが埋め立てられているが、現在の写真で小舟の置かれている場所(草地)は緩やかな斜面になっており、これが当時の海岸の名残になっている。 小舟の位置には当時LVTが集中して停車していたことがわかる。 撮影位置は同じポイントである。
 
                                         上陸中の海兵隊2
   
 6月5日撮影とされている写真だが、明らかな誤りである。「上陸中の海兵隊1」において海上にあるLVTが、すでに上陸完了したLVT群のところに左から接近している写真で、これらが連続した撮影であったことがわかる。 撮影ポイントは同じである。
 
                                         上陸中の海兵隊3
   
 6月3日撮影。一連の写真で撮影者が上陸を果たした後の写真だと推察される。LVTは上陸後通常内陸に侵攻しつつ防御態勢をとるが、これだけ集中して態勢を整えていることは、日本軍の反撃が全くなかったことを意味している。
 
                                         上陸中の海兵隊4 
   
 6月5日撮影とあるが、LVT搭乗員が戦闘服でないことから一応その可能性は否定できない。 当時の美しい海岸線は埋め立てられて現在は工場が建設されている。この工場の右手にムーンライトマラソンのイラストが描かれたタンクがある。 背景の大きな岩山は「虎頭岩」であり、現在も当時と同じたたずまいを見せている。 撮影ポイントは同じである。
 
                                       上陸後の海兵隊歩兵部隊
   
 6月3日撮影。「我喜屋郊外で休息する兵士」というキャプチャーが付けられているが、実際は我喜屋集落より北東側に山をひとつ越えた場所で、フェリーターミナルの近傍である。海兵隊員は上陸直後でありながら散開せずに蝟集状態であることから、やはり日本側の抵抗が皆無であったことを表している。
 
                                         我喜屋集落での進撃
   
 6月3日撮影。 「900m進んだが敵の攻撃はない。我喜屋集落に入る海兵隊」 というキャプチャーが付けられている。 撮影場所は我喜屋集落の北端であり、ここからフェリーターミナルまでは概ね900mであり、説明が一致する。 伊平屋島の写真には戦闘中の写真はほとんどなく、場所が特定できたのはこの一枚だけであった。  戦闘中と書いたものの、実際の戦闘はなかったため、進行方向  (塀に寄り添う姿勢から進撃方向は写真の左から右、すなわち我喜屋集落を北東から南西に進撃している) を索敵しながらの進撃場面と言ったほうが正確かもしれない。 写真では石積み塀の傍で待機しているが、現在では石積みの壁はほとんど見かけることはなく、大半はコンクリートブロックとなった。 撮影ポイントを探し出すのにかなりの時間を要した。
 
                                           上陸海岸1 
   
 6月3日撮影とあるが、若干疑問が残る。 キャプチャーでは「補給物資の揚陸」となっていて、確かに写真左端に揚陸していると思われる姿が見られる。全般的に閑散とした雰囲気であり、上陸後しばらく時間が経過しているのではないかと思われる。 当時は砂浜の海岸であったが、現在は埋め立てられている。現在の写真と比較すると、海岸線の位置がよくわかる。
 
                                           上陸海岸2
   
 上陸海岸に関する写真の中で一番東側から撮影された一枚。 一番奥に見えるLVTが概ね現在のフェリーターミナル(茶色の屋根)付近にあることから、この範囲に上陸したものと考えられる。 
 
                                            上陸海岸3
   
 「6月5日のレッドビーチ」とされる写真。 すでに上陸後の緊迫感はない。
 
                                       監視下の地元住民の方々
   
 6月3日撮影で 「上陸後最初に集められたグループの民間人捕虜」とのキャプチャーが付けられている。 この写真の撮影場所は現在の地形では確認できなかったが、地元の方の証言により現在のガソリンスタンドの位置だそうである。
 
                                           移動する人々
   
 6月3日、海兵隊に監視されながら移動する人々。 「監視下の地元住民の方々」の中にいる人の一部がこの写真にもいることから、集められた後に収容所に移動するという一連の写真と判断される。現在の写真にガソリンスタンドがあり、その位置は当時錯雑とした小さな丘があることから、ガソリンスタンドの位置に当初集められたのは間違いなさそうである。 
 
                                         我喜屋からの避難
   
 6月7日撮影。 「海兵隊が我喜屋を占領したため、村を去る住民」  とのキャプチャーが付けられている。 我喜屋集落はこの道の奥にある。 撮影ポイントは同じであることから、当時の右の崖が削られて海側に造成された道路であることがわかる。 楽しげに歩く子供達が平和の尊さを教えてくれる。 
 
                                       現在の田名集落を歩く人々
   
 6月3日撮影。 「田名村の温和な民間人。進んで海兵隊に投降し、雨の中を3km歩いてきた」 とのキャプチャーが付けられている写真。 3kmという距離から現在の前泊地区の住民の方々と思われる。 撮影場所は現在の田名集落東端であるが、当時の道の取付を確認できず、背景から推定して撮影した。
 
                                         海岸線幹線道路1                               
   
  6月5日撮影。 レッドビーチ裏手の集積場とされる。 現在の写真の奥に小さくガソリンスタンドが見える。 当時の写真ではその位置に錯雑とした小さな丘が見え、これが 「監視下の地元住民の方々」 の写真と一致すると思われる。 ガソリンスタンドから手前は比較的広い平らな地形であったため、米軍は物資の揚陸後は直ちにこの場所に集積を行ったようである。
 海岸線幹線道路1〜3は、保管されている場所がバラバラであるが、実は一連の写真である。 左上の写真奥に写っているアームのある重機は、実は他にも2枚の写真がある。 これが下段にある2枚の写真である。 したがって、カメラマンは北東から徒歩で南西に向かい、連続してこの5枚の写真を撮影したのである。
 
                                         海岸線幹線道路2
   
 7月5日撮影とあるが、6月5日の誤りだと思われる。またキャプションに 「レッドビーチ裏手 前岳を望む」とあるが、前岳は全く逆の方向であり、見えている高い山は賀陽岳である。 このように米軍写真のキャプションには誤りが多く、研究調査には十分注意する必要がある。 当時の写真の道路左手は砂浜であり、この道路が海岸沿いを走る幹線道路であった。
 
                                         海岸線幹線道路3
   
 6月3日撮影とされるが、上陸直後にこの光景はあり得ないであろう。 したがって「海岸線幹線道路2」の撮影と考えられる6月5日が妥当ではないだろうか。 写真は子ヤギを満載した荷車を鹵獲した際のものである。 写真をよく見ると、「海岸線幹線道路2」の写真を撮影した後にこの写真を撮影したようだ。 「海岸線幹線道路2」 で馬に乗った兵士はこの写真には写っておらず 、反対にこの写真の6名のうち5名が「海岸線幹線道路2」に写っている。
 
                            前泊地区の物資集積所
   
 原野の中に積まれた配給用の食料と水。この集積所は前泊地区から田名集落に抜ける道の途中にあったもので、最後の特攻機として知られる中津留大尉率いる一群の磯村少尉・後藤上飛曹機が突入した近くにある。 
 
                                           泥からの脱出
   
  6月5日撮影の写真で、泥濘みからジープを押しだそうとしている水陸両用車とのキャプションが付けられている。 また前岳を望むという一文もあるが、見えているのは後岳である。 場所は田名集落の南西、田名池付近である。
 
                                    不時着した日本軍機とのスナップ写真1
   
  6月8日撮影とされる写真。使えなくなった日本軍機でのスナップ写真だろうか。左の山裾(後岳)に見えている集落が田名集落となる。右手の山は形状が異なって見えるが、戦後一部が削られたようで、今では当時より急斜面に見えている。
 
                        不時着した日本軍機とのスナップ写真2
   
 5月15日撮影とされる写真で、上陸した6月3日より以前ということで全く信憑性がない。 しかも「不時着した日本軍機とのスナップ写真1」で写っている人物と同一である。  実はこの比較写真の撮影位置は正確ではない。 この写真は機体の右後方から撮影しているが、その現在は全く立ち入ることの出来ない湿地帯で、仕方なく 「不時着した日本軍機とのスナップ写真1」の撮影位置から山並みが同じに見える方向へカメラを構えたものである。 
 
                          前泊集落から田名集落への道
   
 6月5日撮影で 「前岳を望む」 とキャプションが付けられた写真。 何度も「前岳」が登場するが、「前岳」という名前が登場する写真に、実際に前岳が写っている写真は一枚もない。 米軍の記録写真の曖昧さが露呈する。 
 左奥に見えるのが田名集落となる。右側の稜線が異なっているように見えるが、戦後削り取られた跡がよくわかる。削られたため稜線が急になったように見え、また削られたことで、戦時には見えていなかった遠くの台形の山が見えるようになっている。