海軍第27魚雷艇隊降伏式 (名護市我部祖河)                 2007年11月撮影

 本部半島東部の運天港には第27魚雷艇隊と第2蛟龍隊(小型潜水艇保有)が配備されていた。3月25日以降、両隊は命により出撃して戦果を挙げたものの、3月30日には延200機以上の大空襲を受けてほとんどその機能を喪失した。4月6日、第27魚雷艇隊司令白石信治大尉は、上級部隊に「当隊は今より陸上戦闘移行、国頭支隊長の指揮下に入る」と打電して国頭半島中央部の八重岳に移動、支隊長宇土大佐の指揮下に入り陸軍部隊と共に戦闘行動に従事した。組織的戦闘の終了の後は本部の山中に籠もり、主として遊撃活動を実施していたが、やがて終戦を知ることとなる。しかしながら白石大尉以下183名は終戦後も降伏を拒み続けた。しかし地元市長(写真の白ワイシャツの人物)などの勧めに応じ、昭和20年9月3日に米軍に投降した。

 資料では上記写真の場所について 「製糖所広場」 というものと 「古我地と我部祖河の間の田圃跡広場」 という2つの説があった。米軍の航空偵察写真から「製糖所」や「田圃」は識別は出来なかったため、数日にわたって地元の人たちの話を聞き集めたところ、ひとりのご老人から 「昔製糖所で降伏式をしたという話しを聞いた」 という情報を得た。その時期的なものから、この写真の降伏式であることはほぼ間違いないと判断、併せて製糖所の位置も確認した。
元製糖所の場所は現在 「琉球産経株式会社北部営業所」となっているが (有名な我部祖河食堂の裏手)、その当時の敷地は現在より広かったことが米軍の航空偵察写真からも識別できた。そこで敷地の中で、写真の背景にある森林の形状に着目し、敷地内の概ねの位置を推定した。

右写真が米軍指揮官に軍刀を差し出す白石大尉である。上の写真では白いワイシャツの男性の左奥に見える人物が白石大尉である。