嘉数高地を北東から見る (宜野湾市嘉数)                   2009年11月撮影

 激戦地である嘉数高地は二つの高地を総称したものである。写真中央の一番高いところが 「嘉数北側高地」 、写真の一番右(遠方でわかりにくいが少し稜線がふくらんだところ)が 「西部70高地」 である。米軍は 「嘉数北側高地」 を 「Kakazu Ridge」、「西部70高地」 を 「Kakazu West」 と称した。
  写真で見るように手前には平地が広がり、一見するとこのまま戦車で接近して攻略出来そうな地形であるが、実はこの平地部と嘉数高地の間には比屋良川という川が存在している。米軍も昭和20年1月の航空偵察でその存在を偵知していたが、戦闘開始前日まで川の作る深い谷があることを全く認識していなかった。実は比屋良川の水面まで深いところで10m以上あり、その両側は切り立った絶壁で、歩兵でさえ場所を選ばなければ越えることの出来ない天然の障害であった。 日本軍はこの特徴をよく理解し、歩兵の越えてこれる可能性のある地域には集中して火器を指向した。更に川を越えて高地側に進出した米軍に対しては比屋良川周辺に迫撃砲弾を集中して弾幕を形成、退却も不可能となった米軍に対して更に徹底的に攻撃を加えた。 一方米軍戦車に対しては、敢えて渡河可能な橋を爆破せずに残し、突進して来た戦車を待ちかまえて徹底して攻撃した。 生存者が 「嘉数では負ける気がしなかった」 という証言を残しているのもそのためである。 
  写真は戦後に撮影したものらしく、米軍の設営した施設が写真右側に写っている。今では住宅地に変貌した嘉数地区も、60数年前にはその足元で激烈な戦闘が繰り広げられたのである。
                                     *詳しくは HP 「沖縄戦史」 中の 「嘉数高地の戦闘」を参照ください。