嘉数渓谷(比屋良川) (宜野湾市嘉数)                    2009年11月撮影

                                                    
米軍の公刊戦史では嘉数渓谷(Kakazu Gorge)との説明が付けられている写真である。遠方の高台上に米軍の設営しているテント群が見えているが、それがどこであるかの説明は付されていない。ところが、陸上自衛隊富士修親会発行の 「戦闘戦史防御編」 に出て来る写真では、遠方に見える丘がいつのまにか嘉数北側高地(92高地)として説明書きが付され、写真の題名は 「戦闘直後の嘉数高地の敵方斜面」 とされている。 つまり米軍の攻撃する方向から嘉数高地を撮影したもの (北から南を撮影) としての説明である。しかしながら、戦後に撮影した米軍の航空写真では嘉数高地上に米軍の施設は一切見当たらず、反対に比屋良川北側の台地上に米軍のテントを中心とした施設群が確認できる。したがって陸上自衛隊の写真の解説は明らかに間違いで、この写真は日本軍側、つまり嘉数北側高地の裾野から嘉数渓谷(比屋良川)を挟んで米軍側を見た写真なのである。
 写真の場所は、4月9日に米第383連隊第1大隊A中隊が、4月19日に第105連隊第1大隊A中隊が比屋良川を渡河して日本軍側に進撃した場所である。写真で手前にあたるこの場所は、米軍の公刊戦史で小さななだらかな丘が重なり、湿地帯が存在したと説明されており、身を守る遮蔽物の少ない地形であったようだ。 特に4月19日の米軍の攻撃は、当初から日本軍に察知されていたために、この場所で熾烈な迫撃砲攻撃と機関銃の十字砲火を受け、米兵が折り重なって倒れた場所でもある。 
 当時の写真撮影の場所は、現在の写真では左の電柱のあたりだと思われる。木々に覆われて対岸が見にくいが、遠くに民家が数軒見える場所の更に奥に米軍のテント施設があった。木々さえなければ、かなり深い比屋良川の断崖が見える場所である。