嘉数高地鞍部の混戦 (宜野湾市嘉数)                    2009年11月撮影

 嘉数高地という名称は現在の「宜野湾市嘉数」の北側にある高地帯の名称である。だが実際には二つの高地からなる地形で、東側にある高地を日本軍は「嘉数北側高地」(米軍名Kakazu Ridge)、西側にある高地を「西部70高地」(米軍名Kakazu West)と称し、その二つの高地の間を「鞍部」(米軍名Saddle)とした。
  この二つの高地の間の鞍部は、攻撃する米軍にとって唯一日本軍の機関銃射撃や迫撃砲射撃を避けられる場所であったため、4月10日の攻撃後にはこの狭い地域に約3個大隊が(実質はもっと少ないと思われるが)蝟集し、それに対して日本軍が逆襲をかけるなど、嘉数高地の戦闘開始当初から日米双方に大きな死傷者数を生じている。 更に4月13日午前3時頃から、日本軍の独立歩兵第272大隊が夜間攻撃によってこの鞍部を突破し、米軍側に一気になだれ込んできた。対する米軍は果敢に反撃するものの、一部に突破を許し、米第381連隊第1大隊の迫撃砲分隊が取り残されるなどした。その際に迫撃砲分隊が逃げ込んだ墓が、当時の写真の左端に撮されている。 攻撃側の独立歩兵第272大隊は、この攻撃でほぼ全滅となり、生存者の記録でも西部70高地からこの鞍部にかけては日本兵の累々たる屍に埋め尽くされたという。
 当時の写真は米軍側、つまり北側から撮影したものであり、写真の右側の丘が「西部70高地」、左の丘が「嘉数北側高地」の一番西端となっている。 撮影場所は当時の写真とほぼ同じ場所だと思われる。 現在は住宅地として生まれ変わっているが、写真にある住宅の裏側には一部の墓地が残されている。この付近の墓地は約20年前までは激しい戦闘の名残が数々残されていたが、宅地開発が進むにつれてその名残もほとんど見かけることはなくなった。 ただし「嘉数北側高地」は、「嘉数高台公園」 として保存されており、付近には嘉数高地を守備した独立歩兵第13大隊の大隊本部壕入口や、高地上の監視哨なども残され、珍しく戦績が後世に伝えられる場所となっている。