前田地区の戦闘 (浦添市前田 前田小学校グランド)                  2006年11月撮影

 背後に見える前田高地は日米両軍にとって勝敗を決する重要な地形であった。米軍にとっては首里までが一望できる観測点を獲得し、戦車機動を遮る地形的障害を排除したことはこの後の戦闘を一気に有利にしたと言っても過言ではない。日本軍にとっては前田高地を失ったことで、敗戦という言葉が一気に身に迫ったに違いない。写真の場所は前田集落南部地区にある前田小学校グランドである。昭和20年5月4日に沖縄第32軍は大規模な攻勢を実施しているが、この失敗によって前田集落南部地区は諸隊が混淆し戦線が整理できない状況下、5月6日に米軍の攻撃を受けたのである。各部隊の指揮通信が混乱する中、部隊間に遺恨を残しながら(通信手段がないために隣接する部隊の撤退を「無断撤退」と受け取った)も激戦を耐え抜いたが5月9日には米軍の突破を許している。写真はその戦闘が終了して米軍が更に前進する際のものであり、5月10日前後ではないかと考えられる。
  背後に見える尖った岩は為朝岩であり前田高地のシンボルでもあるが、この時期為朝岩周辺の壕にはなおも第32歩兵連隊第2大隊(志村大隊)が生存し絶望的な戦闘を継続している。写真の右奥にお椀を伏せたような高地があるが、これが130閉鎖曲線高地(米軍名150高地)であり、日本軍はこの丘を守備するために多大な犠牲を払い、別名「死の高地」と呼ばれた。この高地は現在の浦添市消防本部裏手にあたるが、造成されて墓地となり、その姿を残していない。 
  写真はほぼ同じアングルで撮影したが、実際はこの撮影場所の後方50mくらいになると思われる。その場所は現在民有地となり高低差もつけられていたために、グランドに降りて撮影した。おそらく米軍兵士の右から4人目くらいの位置に立っているものと推察している。