前田高地 (浦添市当山)                          2005年12月撮影

 この写真は米国陸軍公刊戦史 「Okinawa The last battle」 に掲載されているものである。米軍にとって首里へ向かう最後にして最大の地形障害であったのであろう、本の中にもこれほどまでに細部にわたり地形を大きくクローズアップして説明を加えているものはほとんどない。写真からもわかるように 「PILLBOX」 「NEEDLE ROCK」 「HILL150」 付近は傾斜がきつく戦車が通過できる場所はない。したがって米軍の戦車による攻撃は写真左にある「HWY 5」 に集中したのである。「HWY 5」 (現在の県道241号線 宜野湾南風原線)は嘉数と西原という激戦地の間を通り抜けてこの前田高地を回り込むようにして首里に向かうという、米軍にとって最も重要な幹線道路であった。米軍は日本軍の防御陣地であるこの前田高地を占領するために反対側にある前田集落に侵攻して、前田高地を両側から攻撃しようと試みた。そのため戦車部隊はこの「HWY 5」上を進み、さらに戦車が通過できる場所、写真左にみえる「HILL 152」「HILL 150」の間から反対側に抜けようとしたのである。
  日本軍にとって前田高地の喪失は首里までを見渡す観測点を米軍に与えることになるため、何としてもこれを死守する必要があり、「HILL 150」(日本軍名 130m閉鎖曲線高地)を確保して敵の戦車を陣内に入れることは絶対に避けなければならなかった。ところがこの高地は全くの隆起珊瑚礁からなり、地面は岩で全く陣地構築は不可能であった。しかしここに部隊を置かなければ、米軍の戦車は容易に陣内へ侵入する。そこでやむなく夜間に1個中隊を配備するのだが、陽が昇ると同時に米軍の砲撃の格好の餌食となり全滅した。無駄だとわかっていても次の日もまた1個中隊を同じように配備するしかなく、あまりの犠牲者の数に、日本軍はこの丘を「死の高地」と称したのである。
  現在、前田高地は概ねその形状を残しつつも 「HILL 150」 は削り取られて姿を消し、「HILL 152」はアパートの建ち並ぶ団地へと変貌している。撮影ポイントは当時と同じ場所であると思われるが、浦西中学校によって 「HWY 5」を見通すことはできない。また中央にある明瞭な道路は取付位置が多少変わっていることがわかる。