前田高地北側斜面 (浦添市前田)                      2007年11月撮影

                              
 牧港〜嘉数〜西原〜千原〜和宇慶という日本軍第一線主陣地帯(実際は嘉数は本来の主陣地ではない)を失った後、前田高地は第二線陣地として中央部の最も緊要な地形であった。米軍は嘉数・西原の奪取後の4月25日から前田高地の攻略に着手、26日には早くも戦車が前田高地の背後に侵入して日本軍は苦戦に陥った。しかしながら、天然の要害である前田高地には独立歩兵第12大隊(賀谷大隊)や歩兵第32連隊第2大隊(志村大隊)等が立て籠もり、その奪取は容易ではなかった。
 米軍は前田高地に立て籠もる日本軍に対して南北両面からの殲滅戦を行ったが、特にこの写真の北側斜面では這い上がってくる米軍に対して日本軍は手榴弾を上から投げつけるなどの抵抗を示したために作戦は進展せず、最終的に前田高地を押さえたのは5月9日夜に日本軍が前田高地から脱出してからとなった(実際は志村大隊が脱出できずに立て籠もっていた)。
 写真は5月4日に撮影された米第307連隊の前田登坂とされる。この頃は日本軍は昼間に行動することはなかったため、比較的余裕をもっている米兵の姿である。この写真を一部資料では島尻半島南部の具志頭95高地としているものもあるが、上に立っている将校の名前も判明していることから誤りである。
 現在の写真の下側には日本軍が構築した壕が見える。この壕を写真に入れるために、撮影ポイントを敢えて後ろに下げた。当時の写真で、ネットがかかっている上部の出っ張りが現在の写真でも確認できる。草が生えてよくわからないが、この付近一帯はほぼ垂直の絶壁である。