牧志高地(那覇市牧志1)                        2009年11月撮影
   
 米軍は1945年5月18日に那覇市安里にある52高地(シュガーローフ)を占領したが、その東側に隣接する真嘉比南側地区陣地(ハーフムーンヒル)を攻略することができなかった。当初はハーフムーンヒルを攻略後に東進して首里を攻撃する計画であったが、この挫折により戦略的に価値のない那覇市を攻略し、その後背後から首里を攻撃する方針に転換した。 5月23日には安里川を渡河、25日に第4海兵連隊第2大隊F中隊がこの牧志高地に進出して来た。 これに対して日本軍は特設第6連隊基幹により那覇市の市街戦を展開して頑強に抵抗、結局完全にこの地区が制圧されたのは5月29日であった。 
 那覇市牧志は繁華街である国際通りに面した一角であるが、当時は人家もまばらな田畑の広がる地区であった。 この牧志の高地は墓地であったが、日本軍は墓地を利用しつつ壕を掘り、平地部を前進してくる米軍に大きな損害を与えた。 写真の撮影場所はほぼ同じである。 現在は繁華街として多くの飲食店が建ち並んでいるが、実はこの牧志高地は現在も墓地としてほぼそのままの形で市街地に残されている。 現在の写真左奥に樹木が見えるが、これが牧志高地の一角である。 全容を見えることがないために、その存在さえ知られていないが、国際通りに残された数少ない戦跡である。