那覇市波之上宮 (那覇市若狭1)                      2006年11月撮影

                       
米海兵隊が那覇市の北側を流れる安里川を渡河して市内に侵入して来たのが昭和20年5月23日であり、その後壺屋付近で日本軍と対峙して南進を阻止されたため、攻撃方向を若干変更して海岸線に沿って南西進するように進撃した。波之上宮はこの海岸線にあるため、写真は5月24日もしくは25日頃のものと思われる。
 戦時下の写真で奥にある一段高いところの鳥居は現存し現在も同じ位置にあるが、手前の鳥居は老朽化が著しく、平成になって再建されたとのことである。また当時は波之上宮に向かって市内から真っ直ぐに参道が延びていたが、当欄右の写真でわかるとおり現在は県道47号線が宮の横を走るようになっており、鳥居に対して真っ直ぐの道路ではない。そのため当時と同じ撮影ポイントに立つと波之上宮が見えなくなるために、撮影ポイントをずらしている。戦時下写真左下にある破壊された灯籠の大きな破片が二つ転がっている位置が、当欄右の写真の白い車の位置に相当する。また、写真にある灯籠は破壊を免れたものが境内に移設され現存する。
 なお、波之上宮には沖縄第32軍司令官牛島中将以下多くの将兵が戦勝祈願に赴いている。また北側(裏手)には「波之上ビーチ」が広がる。数多くの沖縄戦関連戦記を読むと、波之上宮で戦勝を祈願する部隊参拝の後に自由時間が与えられて、このビーチで海水浴をした記述が散見される。沖縄にいて楽しかった想い出はこのビーチで泳いだことだけであるという兵士も多いのである。