大名高地の戦闘 (浦添市沢岻・那覇市首里大名町)                  2006年11月撮影

 写真の説明では「大名高地」とだけ書かれている写真である。大名高地の戦闘は第1海兵師団にとっては沖縄戦最大の激戦であり、数々の写真では完全に焼き払われた大地が横たわるものが多く、その戦闘の凄まじさが伝わってくる写真が多い。日米双方にとって首里攻防の核心となる戦闘であり、その意味で双方ともに死力を尽くした戦闘となった。ひとつ北側にある沢岻高地を制した米軍は昭和20年5月13日から大名高地の攻略を開始しており、写真に見える大名高地北西端(現在の写真では給水タンクのある部分)から現在の大名小学校の間では寸土を争う激戦となった。この大名地区の戦闘では日本軍はタマリ戦法という方法で米軍を苦しめた。斜面の米軍側には偽陣地を配し、反対側(日本軍側)に第1線陣地を構築した。米軍が稜線を越えて攻撃してきた場合には第1線陣地は身を潜め、米軍が頭上を通過して第2線陣地正面に達したときに第1線陣地が後方から、第2線陣地が正面から一斉に攻撃を開始した。
  戦時下の写真の場所は第1海兵連隊の担当地区であり、手前の丘陵(兵士が登っている)より左の地区は第7海兵連隊の担当地区となる。したがって推定ではあるが、この写真は5月14日第1海兵連隊第1大隊C中隊の攻撃前進中を撮影したものではないかと思われる。現在この地区は新興住宅地となっており、当時の面影を残すものは給水タンク左側の丘、兵士達が今から登ろうとしている崖などくらいとなっている。戦車の停止している場所は現在の写真の一番右に写っている住宅付近となり、戦時下の写真で中央下に写っている×印の標旗が現在の写真中央手前の草むら付近ということになる。本来の撮影ポイントは道路の反対側であろうが、その場所に立つと全体の稜線が見えなくなるので敢えて後方に下がって撮影した。    詳しくは本編 「大名高地の戦闘」 を参照のこと