伊江島 アーニー・パイル記念碑 (伊江島)                    2007年11月撮影

 アーニー・パイルは1943年にジャーナリストとしては最高位に称せられるピュリッツァー賞を受賞した米国で最も有名な従軍記者のひとりである。1900年に生まれ、若いときからジャーナリストとして活躍、やがて北アフリカ・イタリア・ノルマンディーなどの欧州戦線を転戦して太平洋戦線の沖縄に足を踏み入れた。彼自身と兵士そして読者とを精神的に三位一体となるようなスタイルのアーニーパイルの記事は戦時下のアメリカで大いなる反響を呼び、多くの読者を獲得した。また戦場で兵士に気軽に話しかけることで、兵士達の親父・兄・そして友人として絶大な人気を誇った。ただし、太平洋戦線では記事が誤解を生んだこともあり、彼としてはあまり乗り気な取材ではなかったようである。そしてこの沖縄戦で従軍記者としての戦闘への参加、上陸作戦への同行もこれが最後だと決めていたとされる。
 4月16日の上陸開始時は戦略指揮艦である「パナミント」艦上にあったが、17日に伊江島に上陸した。上陸後は歩兵と話しをしたりして海岸近くで野営。18日朝は兵士と同じCレーションを朝食とした。その後、第307連隊長のクーリッジ大佐が新しい連隊指揮所の場所を選定するというので、そのジープに同乗して伊江島の横断に出発した。午前10時頃、海岸から内陸に向かったその直後に日本軍の機関銃射撃を受けた。射撃とともに全員ジープから飛び降りて道路脇の溝に飛び込んだ。一瞬機関銃射撃が止んだ時、彼が溝から頭を上げたその時に一発の銃弾が彼の鉄帽の真下、左こめかみに命中した。ほとんど即死であったと伝えられる。
 彼の遺体は陸海軍の戦死者とともに伊江島に埋葬されたが、その後ハワイのパンチボールにある国立太平洋記念共同墓地へ改葬されている。尚、毎年4月の第3日曜日にはこの場所で式典がおこなわれており、今もなお兵士と共にあった従軍記者に対する畏敬の念は高い。