142高地(米軍名ロッキークラグス) (西原町千原)              2006年11月撮影

 戦後60年以上を経過して戦争の記憶も薄れては来たが、沖縄戦を戦った米国陸軍・海兵隊の各師団において、それぞれが最も苦戦した戦場名は数々の記録に残されて後世に語り継がれている。第1海兵師団の「大名高地の戦闘」、第6海兵師団の「シュガーローフ」、第77師団の「石嶺高地の戦闘」、第96師団の「コニカルヒル」(運玉森)等がそれに相当するが、第7師団にとって忘れられない戦場がこの「ロッキークラグス(岩山)」なのである。日本軍の第一線主陣地帯に位置する142高地は西に我如古・西原・嘉数、東に155高地という要衝とそれぞれが相互支援を実施しながら米軍を一歩も陣内に入れることがなかったと言っても過言ではない。昭和20年4月9日に米第7師団がこの洞窟とトンネルで高度に陣地化された142高地で戦闘を交えるようになってから何度も攻撃を仕掛けるが、その都度犠牲者を出すだけで全く進撃は不可能であった。日本軍は4月19日に西海岸牧港で戦線が突破され第一線陣地は崩壊してゆくが、戦線整理のために後退する23日まで多大の犠牲者を出しながらもこれを保持した。特に4月22日に米第7師団第17歩兵連隊B中隊の2個小隊31名が頂上部を占領しようとしたが、戦死18名、負傷者7名の損害を与えて撃退するなど、一時日本軍を上回る損害を与えている。
  現在142高地は琉球大学農学部に接してその姿を残している。写真を見る限り、頂上部の半分が土砂採掘で削られてはいるが、当時の壕の位置などは現在の姿からもその位置が特定できるような様相である。琉球大学構内から撮影している上記の写真であるが、実はこの反対側には沖縄自動車道が走り、その建設の際に142高地は大きく削られているのである。琉球大学構内からの全景写真(2002年撮影)とともに反対側からの写真も掲載しているが、その写真からは当時の激戦を彷彿とさせるものは何もなく、現在の沖縄の戦跡を象徴しているかのようである。