142高地西側斜面の戦闘 (西原町千原)                    2009年11月撮影

  「142高地(米軍名ロッキークラグス)」には、当初独立歩兵第14大隊第1中隊・第3中隊・機関銃中隊及び歩兵砲中隊を基幹部隊として、独立歩兵第12大隊機関銃中隊第1小隊、独立歩兵第273大隊などが配置されていた。しかし戦闘の進捗に伴って部隊は他方面に転用され、戦闘が最も厳しい局面に立たされた4月19日には、推定として独立歩兵第12大隊約1個中隊(中隊名不明)・独立歩兵第14大隊機関銃中隊及び歩兵砲中隊が守備していたようである。
  この142高地付近は独立歩兵第14大隊の守備地区であったが、4月1日の米軍上陸直後から遅滞戦闘を行っていた独立歩兵第12大隊(賀谷支隊)が逐次この地区に後退して来たために、二つの大隊が混成状態となった。そのため現在に至っても、この142高地の戦闘はどちらの大隊が主力部隊か又は配属部隊かの確固たる資料が得られていない。 さらに4月19日夜には日本軍側の記録では独立歩兵第14大隊は撤退したと記述されているが、生存者の記録では24日まで戦闘を継続したとあり、この点でも疑問が残るのである。 
  写真は米軍公刊戦史に掲載されているもので、ロッキークラグス西側斜面の戦闘という記述があるが日時は示されていない。 しかし戦闘経過から見て、西側斜面に火焔戦車が進入したのは4月22日であり、その日の写真で間違いはないと思われる。 また写真の兵士は米歩兵第17連隊第1大隊B中隊であろう。B中隊は21日と22日の戦闘で死傷率40%を越えて戦闘力を失った。 写真の撮影場所は、当時の地図から判断して、高速道路上にある車両付近だと思われる。高速道路によって掘り下げられ、この西側斜面は大きく変貌を遂げている。 

 付記 : 生存者の記録では、独立歩兵第14大隊機関銃中隊(田宮隊)は142高地の戦闘において、重機関銃1銃と隊長以下20数名を残すのみとの記述があることから、おそらく
     24日までこの地で戦闘を継続したものと思われる。