県立第一中学校(首里高校)1 (那覇市首里真和志町2)             2009年11月撮影
   
 左の写真は県立第一中学校、現在の首里高校の1945年5月29日の状況である。 
首里の日本軍は5月末に至って北・東・西の3方向から米軍に包囲され、その陥落は時間の問題となった。 沖縄第32軍はこの頃、本島南部への転進を決定しており、すでに攻勢に転じつつも部隊は逐次撤退を開始している状況であった。 5月28日には米第5海兵連隊第3大隊F中隊が、日本軍の間隙を縫ってBeehive Hill (首里高校の西約500m) を占領した。 そして翌29日には、第5海兵連隊第1大隊A中隊が県立第一中学校の南側道路を伝って、ついに首里城内に突入を果たした。 この日米軍はこの方向から後続部隊を投入して首里城周辺の防御を固めている。
 県立第一中学校は、このときまでに砲爆撃に晒されてほぼ破壊しつくされていたが、米軍は兵舎として使用されていた校舎内の日本兵の掃討のためにこの廃墟内をくまなく捜索したようである。
 写真は同じ撮影場所から撮影しているが、県立第一中学校校舎とグランドの位置関係が、現在の首里高校と全く逆になっている。 右の上下2枚の写真 (上:1945年1月米軍機撮影 下:現在の衛星写真) を比較すれば、校舎とグランドの位置関係が明瞭に理解できる。 また、右の古い校舎の写真は県立第一中学校校舎で、これはグランド側から撮影したものである。 廃墟となった写真は、この校舎の写真右側面(つまり北側から)撮影したものである。