155高地から見たスカイラインリッジ攻撃 (中城村伊集)               2008年11月撮影

 この写真は米軍の公刊戦史に掲載されている写真で、4月22日のスカイランリッジの攻撃との説明がなされている。スカイラインリッジの日本軍側の呼称は 「和宇慶西方1kmの高地(Ouki Hill)から伸びる稜線」 であり、日本軍にとっては比較的重視していない地形であった。むしろ現在の琉球大学医学部の近くの157高地を日本軍防御線の東の要として重視した。一方米軍にとっては、このスカイラインリッジを攻略して確保することを、「東京へのスタートライン」と位置づけて、ひとつの区切りとして重視していた。確かに周囲を米軍戦車の機動容易な平地に囲まれ、さらに防御するために必要な縦深(奥行き)が決定的に不足するこの地形に多くの部隊を配置することは効果的ではない。
 この地区の戦闘は4月19日に開始され、写真の撮影された前日の4月21日に全稜線を米軍が占領して終了している。4日間の戦闘において日本軍は小勢力の部隊(独立歩兵第11大隊の一部)で善戦し、戦車をもって攻撃を繰り返す米軍を最後まで苦しめた。写真の22日は米軍はスカイラインリッジより前方に出ることなく、戦線の整理に当てている日で、写真に写る米軍戦車も煙幕下にさしたる脅威もなくスカイラインリッジに向かっているものと思われる。
 4月24日には日本軍は緒戦から米軍と戦い続けた第62師団の戦線を縮小し、この東海岸地区には新鋭の第24師団を投入して、沖縄戦は次の段階に入ることとなった。 写真は155高地 (米軍呼称 Tomb Hill) から撮影したもので、スカイラインリッジの形状が現在もほぼ同じであることがわかる。 また「TOMBS」と書かれているのは墓地のことで、現在もこの地区は墓地として使用されており、中でも古い墓には現在も数多くの弾痕が残されている。