日本兵の掃討 (糸満市兼城)                      2008年11月撮影

 沖縄戦の写真集や資料、沖縄県の資料館などで度々目にする写真である。写真の中央より少し下に銃を向けられて両手を挙げる日本兵の姿 (サトウキビ畑の中に黒く見えているのが日本兵) が映されている。筆者頂いたご遺族からのメール中に、偶然にもこの写真が気になると言う方が複数おられたのは、この写真の構成が他の写真にない現実感を実感させるからではないだろうか。また、「生きて帰還した方から、○○君も降伏して壕を出たはず」と言われたご遺族が、この写真を見て日本兵が消息不明の自分の肉親のように感じられるというのも、この写真の持つ現実感からかもしれない。その意味からも、この撮影場所を早く見つけたかったのだが、当時の写真を思い描いて探してみると思いの外時間を要してしまった。
  この写真は一部の資料に 「6月13日撮影」 とさてれおり、また米兵の装備が完全武装でなく後方地域の様相であることから、13日の日米の接触線より後方であるとこと。また写真のように米軍に包囲されて投降するという状況が発生しだしたのは、日本軍の首里撤退後のことであり、その意味からも沖縄本島南部と考えた。 この写真では手前が平地となっており、向こう側斜面は下部が急で川に接した地域と思われた。思い当たる地域を歩き回ったが3年にわたっても見つけられないでいたが、4年目にしてようやく右の写真の場所を見つけ出した。
  実際の撮影場所は一段下った平らなところだと思われるが、そこから撮影すると樹木で覆われるために、後方に下がって高い位置から撮影している。樹木に覆われているものの、下段は平になっており、さらに前方へ出ると川があり、急な対岸が迫ってくる。写真の山の上には現在墓地が造成されており、そのために地形を削り取って平にしていることもわかる。 
   写真後方の山「 照屋高地」 は第24師団歩兵第32連隊第1大隊の前進陣地 (主陣地は糸満市国吉丘陵) であり、第3中隊が守備についた。6月9日には米軍の攻撃を受けて苦戦に陥いり、11日に大隊本部より撤退命令を受けたが、時既に遅く撤退の道は閉ざされていた。首里から撤退時には総員79名の第3中隊は16日に米軍の包囲を突破して大隊陣地に後退してきたが、その際の生存者(大隊合流者)は27名であったという。13日の時点ではこの地区はまだ日本軍の第一線が強靱に防御戦闘を行っていたため、戦争末期のように各部隊が混淆として逃げ迷った状況にはあらず、日本兵は歩兵第32連隊第1大隊第3中隊の兵士かとも思われる。生存している第1大隊長を初めとして、多くの歩兵第32連隊生存者に写真を確認して頂いたが、結局この日本兵の氏名などは不明のままである。