首里城 龍潭(那覇市首里当蔵町1)                      2006年11月撮影

  6月8日撮影とされる首里城・龍潭池の惨状である。首里の陥落は5月31日であるので、日本軍の南部撤退後まだ時間の経過していない時の写真で、その砲撃の凄まじさが生々しく残されている。手前に見えるのは久慶門であり、弧を描いた石垣が辛うじて見て取れるが大部分は瓦礫と化し、また遠くに大名高地などが見えているが焼け残った家屋などもなく、ただただ焦土と化した首里の町が広がるのみである。
  現在の写真右に見える赤屋根の建物群は県立芸術大校舎であるが、戦前はこの場所には立派な門構えの沖縄県師範学校男子部があったのだが、戦時下の写真で見る限りその跡形も残されていない。当時の学生達は鉄血勤皇隊として386名が召集されたが、その内224名が戦死(死亡率58%)という悲劇をもって沖縄戦を終えてる。
  現在は池の周辺の緑も深くなり、この場所からは池の姿を見ることはほとんどできなくなった。その中の1本の木は沖縄戦で焼かれたものの、芽を吹き返し、現在も緑生い茂る大樹となって現存している。