棚原高地 (中頭郡西原町棚原)                      2008年11月撮影

 棚原高地は沖縄第32軍の第一線主陣地帯の中央部の背後に位置する本当中央部の重要な地形である。その標高から米軍側の動向はよく偵知できたし、反対にここを米軍に確保されると、首里までの地形は一目で把握できるという双方にとって重要な場所であった。ところが4月19日に米軍が西部の牧港地区に侵入してから日本軍の第一線は崩壊を始め、この棚原高地が最前線となる前に日本軍は第二線陣地へ後退したために、激しい戦闘は行われることはなかった。この高地が注目を浴びたのは5月4日の 「日本軍の攻勢移転」 に伴って、歩兵第32連隊第1大隊(伊東大隊)が敵中を突破してこの棚原高地に達した時のことであった。
 当時の写真の説明は 「前線に向かう第7師団のシャーマン戦車」 である。撮影場所については説明はなかったが、背後の高地の形状から 「棚原高地」ではないかと考えた。現地に赴いて場所の特定を行ったが、棚原集落は戦時中と道路の形状などが大きく変化しているためになかなか撮影ポイントが見つけ出せなかった。そこで昭和22年作成の米軍地図と米軍航空偵察写真から当時の道路を割り出し、これを現代の地図と同縮尺として重ねて判読したポイントから撮影した。本来の撮影場所はこの現在の写真撮影場所よりも左へ5m付近である。先頭戦車のすぐ後ろの崖は削られてマンションが建設されており、道路も当時の取付とは若干異なっている。
 この写真では、手前が南上原高地 (現在琉球大学周辺地区)側であり、米軍戦車は説明とは異なって、前線から後方へ向かっている場面なのかもしれない。