内間付近から首里方向を見る (浦添市内間3)                 2006年11月撮影
 写真は内間地区から第1海兵師団の戦闘地区を撮影したものであり、海兵隊の公刊戦史に掲載されているものである。写真の説明には左から「沢岻高地」「大名高地」「首里」「57高地」という説明が書かれている。第1海兵師団(第1連隊・第5連隊・第7連隊)は5月上旬に北部戦線から転用され、この本島西海岸部に投入されているが、沢岻高地に対して攻撃を開始した5月7日から写真にある地域で日本軍と交戦を交えて首里に到達したのは5月31日であった。約25日間で3km(1日平均120m)しか進撃できなかったことは、如何に激戦であったかを物語っている。
 対する日本軍は沢岻高地に有川少将率いる第64歩兵旅団司令部を置き、伊祖高地をはじめとする西海岸部で米軍の進撃を妨害してきた。しかしながら、その戦闘地域は写真にあるように地形障害物の少ない戦車機動の容易な平坦な地形であって、機甲戦力に優る米軍に対して非常に苦しい戦いを強いられた。地形に利がなく、敗走を重ねる部隊の指揮官として有川少将の評価は第62師団・第32軍司令部でも低く見られ、このことが沢岻高地での司令部撤退命令に大きく陰を落とすことになった。  (詳しくは本編「安波茶・沢岻高地の戦闘」を参照) 
 現在の写真と比較すると正に隔世の感がある。写真下部に走るのは軽便鉄道であるが、現在は道路となってしまった。また戦時下の写真には中央部に2つの森が見られるが、これはそれぞれに高層団地が建設されていることがわかる。戦時下の写真では撮影ポイントは高台の上からのようであるが、現在はこの撮影ポイントでは周囲の建物で視界が効かないために敢えて旧軽便鉄道の道路脇アパートから撮影した。なおこの地区は5月13日に第1海兵連隊が展開した場所でもある。現在の地図にその展開場所を当てはめると実感がわかない(特にK中隊の位置の意味は写真を見てわかる)が、戦時下の写真と照らし合わせるとこの場所に占位した理由も納得できるのである。