八重瀬岳への米軍進撃経路 (島尻郡八重瀬町富盛)                2008年11月撮影

 当時の写真は米軍の公刊戦史に掲載されているもので、「八重瀬岳の夜間攻撃」と説明されている。この写真の中央上部に白く見える細い道が見えているのだが、この道を米軍が登って八重瀬岳を背後から攻略 (八重瀬岳頂上部は写真の右外にあり見えていない) し、日本軍の脆弱ながらも最後の防御陣地を破綻に追い込んだのである。この攻撃は6月12日夜明け前に米第7師団第17歩兵連隊第1大隊A中隊が行ったもので、偶然発生した霧を利用して日本軍に気づかれることなく一気に台上に駆け上がったものである。
 日本軍はこの八重瀬岳を拠点として防御陣地を構成したが、沖縄第32軍司令部の意向に反して、守備部隊は台上には水がないという理由で崖下に陣地を構成するなど、すでに指揮系統による統率にも混乱が生じ始めたころであった。さらに日本軍の戦力は底を尽き、目の前の海岸に上陸する米軍に対して何の反撃も出来ない状況であり、形ばかりの戦線は、この米軍の進撃で一気に破綻することになった.。 そしてこの日以来、日本軍の最期の突撃が繰り返されるようになった。
  余談ではあるが、15日夜に第44混成旅団参謀の京僧少佐が第32軍司令部を訪れ、八原高級参謀に対して、「私的意見ですが、もはや沖縄における我が軍の命運は尽きました。残念ながらやがて祖国日本も敗亡の途をだとることでしょう。この時にあたり我々は何とか処置はないものでしょうか」  と、唯一降伏を意味する言葉を残しているが、それほどまでに日本軍は追い詰められたのである。
 この写真の場所は、A中隊の攻撃地区であるということから当時の米軍の作戦図から概ねの位置を割り出し、更に昭和23年に作成された米軍地図から割り出した。実際にその場に立ってみると、当時の写真手前の低地水田は左右の丘と同じ高さにまで土を盛り、ほぼ平な地形に変貌していた。現在の写真の撮影ポイントは、当時の撮影場所よりも50mほど北側(右側)へ移動した場所で、さらに当時の写真に写る白い道の位置を中央にもってきたために、遠景の山並みが同じ高さに映っていない。尚、白い道は現在では確認できず、当時の道のことを知る人にも出会うことができなかった。