屋嘉収容所 (国頭郡金武町屋嘉)                      2007年11月撮影

 当初嘉手納地区にあった戦闘員専用の収容所は、その後屋嘉へ移されて 「屋嘉収容所」 として1949年まで捕虜を収容した。収容所は将校・下士官・兵・朝鮮出身者に分けられたが、これは戦時中の復讐としてかつての上官にリンチを加えることを防ぐ意味合いがあったようだ。実際に生存者の手記を読む限り、上官に制裁を加える場面に多く遭遇するが、これが旧日本軍の階級による力の支配の裏返しと言っても過言ではない。収容所の食糧事情は戦闘を経験した将兵達からすれば非常に豊富であったようで、戦争間の栄養失調からくる疾病はほとんどがこの収容所で回復することが出来たという。
 現在、この収容所跡は敷地全体がひとつの住宅団地となっている。当時を偲ばせるものは何もなく、国道に面したところに碑が建てられているだけである。 写真は背景などからほぼ同じ場所から撮影しているものと思われる。当時の写真にある鉄条網のフェンスは、現在の写真の右手住宅の裏手の敷地境界線と一致する。