北(読谷)飛行場飛行場本部 (中頭郡読谷村座喜味)                 2008年11月撮影

                             
 「読谷補助飛行場」は昭和19年1月に軍に接収されて建設が開始された。当時、基地設定用の機材は装備されておらず、多数の一般住民の労力に依存しながら急ピッチで建設された飛行場である。日本軍での正式名称は「沖縄本島北飛行場」であり、昭和19年9月頃から飛行場建設の部隊等(重機材はない)も投入され、「沖縄本島中飛行場」(現在の嘉手納空軍基地)よりも一足早く完成している。なお、この飛行場には満州に駐留していた第56飛行場建設隊が移駐してきたが、戦力のほとんどないこの部隊も一般の部隊として戦闘に投入され、ほぼ全滅の状況に追い込まれている。
 写真は米軍の占領後のものであるが、日本軍の「飛行場本部」の標識が残されている。開戦前のこの飛行場には、台湾第8飛行師団隷下の独立飛行第23中隊(飛燕12機・99式双翼軽爆機2機)が配置されていたことから、その当時の名残ではないかと考えられる。写真に見える滑走路は南北に走る主滑走路であり、その後方に副滑走路であった東西に走る滑走路もわずかに確認できる。遠方の座喜味城址、滑走路の角度などから、ほぼ同じ位置の撮影と思われる。
 この「読谷補助飛行場」は、上陸後から米軍に接収されてたが、昭和40年4月から逐次日本に返還され、平成18年12月31日についに悲願の全面返還が完了している。現在の写真に写る赤い屋根の建物は「読谷村役場」であり、周辺には総合運動施設等も建設された。この主滑走路も、近く国道58号線が建設されるために将来的には無くなる可能性が高いようだ。