沖縄戦データベース

読谷・チビチリガマとシムクガマ

米軍上陸

米軍上陸直後の読谷村で、隣接する二つのガマが対照的な結末をたどった。シムクガマでは4月1日に米軍と接触した際、ハワイ帰りの住民が交渉にあたり、約1000人が投降して助かった。翌2日、チビチリガマでは避難民約140人のうち83人が「集団自決」(強制集団死)に至った。同じ村・隣り合う壕で生死が分かれた事実は、住民被害が何によって左右されたのかを考える手がかりになる。

場所読谷村波平(チビチリガマ)・読谷村楚辺(シムクガマ)
関係した人物比嘉平治、比嘉平三
うち住民83 人

用語について

「集団自決」/「強制集団死」の両表記を併記する。

関連する戦跡

  • チビチリガマ住民の被害の現場

    1945年4月2日に集団自決(強制集団死)が起きたガマ。

  • シムクガマ住民の被害の現場

    住民約1000人が投降して生き延びたガマ。

主な出典

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出来事ID: EV0014

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